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数奇な運命に振り回されたミノルタ最後のフラグシップカメラ「 α-9 」

※注意:長くなります。熱く書きます。そして論理破綻します。以上ご注意下さい。
お高い猫

このエントリーはフィルムカメラAdvent Calendar 25日目の投稿です。
Advent Calendar最後の投稿の大役をお受けさせていただきました。
その最後の記事で多くのみなさんがもう忘れてしまったであろう今はもう亡き偉大なるカメラメーカー『ミノルタ』の事を書く事をお許し下さい。

【 α-9 の話を始める前に】

私『みこどん』のカメラ歴は2017年から遡ること28年前、11歳の頃からになります。
小学生の頃に見たミノルタα-5700iのCMが私の心に最初の灯火を灯しました。
忘れられず、そのままバイトのできる年齢になるまで時が過ぎ去り、高校時代にバイト代をはたいてある中古のカメラを買いました。
それは『α-7700i』というカメラでした。
α-7700i
α-5700iの上位機種です。

※とりあえず、ミノルタのCMを見て下さい。

生まれて初めて持った自分のカメラでした。
(生まれて初めて撮った写真はオリペンでしたけど)
その嬉しさは果てしなく、フィルム代や現像・プリント代で無尽蔵にお金がかかるのも気に留めず、写真を撮りまくりました。
ですが、その浮遊するような日々が突然暗転しました。
α-7700iを買って2週間後、『自転車で山に写真を撮りに行った』のです。山と言っても山林の奥深くではなく、故郷の山に造成したいわゆる『樹木公園・森林公園』というところです。
そこで、『自転車ごと転げ落ちていった』のです。
その後残されたのは、全治2週間の怪我とかろうじて直せる自転車とバイト代半年分の修理費を突きつけられたα-7700iでした。
高校の修学旅行1週間前の事故でした。
高校生みこどんは失意の中、修学旅行へと旅出るのでした。
(楽しかったです。普通に)

ですが、そこで諦める訳にはいきません。
再度資金計画を練り直し、再び一眼レフカメラを買うのでした。
それは、α-7xiです。
α-7xi
業界屈指のAF・AE機能に加え、『何故か勝手にフレーミングまで決めてくれる』という名機(※人によっては迷機っていいますが、世界初の試みです)です。
このカメラで、僕のカメラライフはまるでロケットエンジンを付けたかのように加速していきました。
この加速は、高校時代だけではなく、4年の浪人・専門学校時代を経て、2年間のカメラ屋(某郊外型全国チェーン)でのバイト時代まで続いていきました。
僕のカメラライフはまさにミノルタAマウントとともにあったということです。

【ミノルタの歴史に輝く『9』の文字は王者の証】

バイト時代まではまだ「9」シリーズは買えないでいました。
中古でも「9」シリーズは高値の花だったのです。
当時購入できたのはα-9000だけ。
しかも、カメラ屋で出た出物を店長にお願いしてその場で抑えてもらったものでした。

いろんな意味で、『α』の9シリーズは特別でした。
ミノルタのαで『9』の号をつけられたのは

・α-9000
・α-9xi
・α-9

だけです。

その性能もすざましく

α-9000

・α-9000:世界初のオートフォーカス機α-7000を『プロの意見を聞いて改良したもの』、実用的なオートフォーカス機能を持つ初のプロ用一眼レフカメラ

α-9xi
・α-9xi:世界初シャッター速度12000分の1秒を装備、超高速撮影を可能に。現在でもフォーカルプレーンシャッターにおいては世界最高性能。

α-9
・α-9:α-9xiの機能をヴァージョンアップし、野外戦に耐えられる剛性を装備

など、完全に『プロのためのプロのα』で爆走するカメラでした。
フィーリングからシャッター音、そしてピント精度まであらゆる点で別次元でした。
当時の各カメラ雑誌のプロ批評では軒並み『非常にいい機械』のお墨付きをもらい続けました。
そして実際、9シリーズで撮られた写真がカメラ雑誌を所狭しと飾っていたのです。

群を抜いた高性能で、まさしく『αの王者』でしたのです。

【待望された『α-9』だがその時カメラの世界では・・・】

『α-9』の登場は実は待ちに待ったものでした。
xiシリーズが出て、α-9xiがEOS-1やF4などプロ用フラグシップに肉薄しました。
ですが、各社EOS-1NやF5など投入をし、プロ市場を完全に支配するに至りました。
『EやFでなければカメラではない』
世界中のカメラはこの2つになっていたのです。
もはやα-9xiに勝てるのは、シャッター速度とスタイリッシュなフォルムだけでした。
このフォルムも実はプロの中で不評でこの再評価がされるのは遥かに時間を待たなければなりませんでした。

ミノルタはこの時、手をこまねいていたわけではありません。
世界中で大ヒットした名機α-707siを有していました。
準フラグシップ市場は、F2桁やEOS-5シリーズを完全に抑え切り、セカンドカメラとしての地位を確率していました。
実はここで多くの人が待たれていたのです。
『α-909si』の登場を。
ですが現実は、α-707siのブラッシュアップ版である『α-807si』が出たのです。
紙面上の評価は『悪くありませんでした』
あくまでも『悪くありませんでした』なのです。
先行されているフラグシップモデルには及びませんでした。

そして、『α-9』が発売されました。
ですが、時すでに遅しでした。
各社その牙城を維持したまま、自社のフラグシップの次世代機、EOS-1VとF6を投入したのでした。
まさに万事休すでした。
それから時代はデジタルカメラへと急速に移行し、ミノルタの『9』ははるか過去に流されていったのです。

【突然世界を閉ざされた『9』。でも確実に脈々と受け継がれる『9』の系譜。そしてついにKとNに追いついた。】

21世紀に入り、ミノルタのカメラは完全に力を失っていきました。
・投入できないフラグシップ
・独自マウントによるAPSモデルの失敗
・普及機のシェア衰退
・デジタル機の開発の遅れ
時は流れ、ミノルタは同じカメラ業界のコニカと合併をし『コニカミノルタ』となります。
カメラ業界的には『フィルム会社とカメラ会社の合併』と評されましたが、実態は好調だったコピー機・複合機業界の拡大のためでした。

結果として、ミノルタのカメラは2006年に撤退をしました。
(同年、コニカのフィムルもその姿を消しました。)

そして、ミノルタのカメラ・レンズの技術者は各社に散っていってしましました。
ですが、『カメラ事業そのもの』が消滅したわけではありませんでした。
皆さんも御存知のソニーが引き受ける事になったのです。
ミノルタ時代から『ミノルタのカメラ』を確立した多くの技術者がソニーに移りました。
ですが、そのまま引き継いだわけではなく、ある意味『一からの作り直し』だったそうです。
(そこら辺の話は、職業カメラマンや各社カメラーメーカー技術者から話を聞いていました。)

それからの『ソニーのα』の快進撃は皆様の知るところでしょう。
新たにEマウントを投入し、名実ともに『新たなα』としての成長を見せてきました。

2017年現在、そしてついにαの”9”は完全に、トップメーカーのフラグシップを射程に捉えたのです。

【ミノルタ最後にして最高のカメラは『α-”9”』だ】

ミノルタの歴史は『7』シリーズの栄光の歴史であったと言っても過言ではありません。
準フラグシップ機としては、間違いなく世界ナンバーワンカメラでした。
ですが、プロが使う世界としては必ず、『1位じゃないとだめ』なのです。
その類まれなる高性能な準フラグシップをベースとして9シリーズは送り出されてきました。
AF時代になってから、多くのカメラは10年を境に作動的寿命を迎える事が多いです。
作動機構が複雑になり、経年劣化と動作摩耗に耐えられないのが原因と言われています。
ですが、αの”9”シリーズは、α-9000から変わらぬ動作を維持しています。
正直、電子制御式でほぼ正常に動き続けるカメラというのは多くありません。
(手当の都合の良いものはありますが、ほとんどシャッターが壊れます)
その中で安定したAF/AE精度を維持し、現状としても使っていける電子制御式カメラと言えます。
これ以前のマニュアルカメラなどは、その中に精密な機構を備えていないため、非常に長く使えるものも多くあります。
(我が家に、ミノルタの『HI-MATIC 7s』という1966年製のレンジファインダーのカメラがありますがまだ動きます)
HI-MATIC 7s

これはデジカメにはない魅力で、デジカメの場合CMOSセンサーの耐久を超えると使えなくなります。

フィルムの販売が続く限り、この『長く使えられる』と言うのは優れたポイントになります。
この優れた耐久性の極みこそが『最後にして最高の”α”』たる所以と成るでしょう。
その証明は今されないかもしれません。
ですが20年50年と経過したその先に、最後にして最高のカメラは『α-”9”』だと認識される時代が来るでしょう。

僕だけはそう願ってます。

α-9シリーズ